どうも。あけまして、かなり久しくなってしまいました。
ご無沙汰していてすみません。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、ニューヨークも派手派手しいカウントダウンの後は1月2日から普通に皆さん仕事にいったり学校が始まったりしていました。
残念ながら日本のようなお正月ムードはありません。
人種のるつぼ、ニューヨークで私が最近出くわした“先輩”について書きたいと思います。
都市部で育った私は、田舎に住むというのがどうも怖くてできないのです。
自然が嫌いとかいうわけではないのです。
むしろ森林の気持ちのいい空気や、自然のにおいとか大好きです。
でも長く、それこそ1ヶ月以上田舎に住むということができないのです。
あのシーンとした感じが、世の中から見捨てられてしまったみたいな気がして恐ろしくなってしまうのです。
そんな私は常々、老後は大都会で暮らしたいと思っていました。
先日、ニューヨークの日本のカフェで友達を待っていたときにおばあさんから話しかけられました。
白髪で小柄なおばあさんが、ずるずるそばをすすりながら話しかけてきました。
おばあさん(婆):ねぇ、あんた日本人?
ゆりつう(ゆ):はい。おばあさんは?
婆:あたし中国人。北京に住んでたの。あんたここよく来るの?
ゆ:はい、たまに。おばあさん日本語上手だね。どこで習ったの?
婆:あたしが子供の頃、満州国ってあってさ、あんた知ってるでしょ?そこで小学校の頃勉強したの。
ゆ:はぁ~なるほど。(デリケートな話題なだけに言葉につまる私。)
婆:あたしはね、日本料理が好きだから週に一回くらいはここに来て食べてるのよ。
ゆ:おばあさん、一人で住んでるの?
婆:あたしの息子と住んでるのよ。若い頃はね、出版社で翻訳の仕事してたんだけど今はリタイヤしてここで子供と暮らしているのよ。
ゆ:へ~すごいねぇ。それだけ日本語話せたら通訳でも翻訳でもできるよね。
婆:そうね。あたし朝鮮族だから韓国語も話せるのよ。
なんてインターナショナルなおばあさんなんだろうと思いました。
この後、ちょうど友達が来たのでおばあさんとの会話は終わってしまったのですが、
これまでおばあさんがどんな人生を歩んできたのかとっても興味が湧きました。
彼女は、見たところ70歳くらいだったのですが今は英語を勉強中との事で私の友達とはちょっと英語で話していました。アグレッシブに人生を生きているなぁと尊敬ですね。
また、とある日。とても寒い日で雪がちらちら降ってきていました。
近くにきたバスに飛び乗ると、次の駅から乗ってきたおじいさんに話しかえられました。
おじいさん(爺):今日は火曜日、それとも水曜日?
ゆ:えっと、火曜日ですよ。
爺:ありがとう。仕事してないから曜日の感覚はないんじゃよ。(笑顔)
ゆ:私も学生だからたまに曜日がわかんなくなりますよ。
爺:何勉強しとるんじゃ。
ゆ:ビジネスです。
爺:ほう。韓国人かな?
ゆ:日本人です。
爺:え?ケベックから来た?
ゆ:(え?どうしてそう間違えるのかな?)いやいや、日本人。
爺:ああ、日本か。わしの妹が去年からいっとるよ。綺麗な国だし、とても清潔だって言ってたよ。
ゆ:あはは。ありがとう。
爺:わしは、もとサッカー選手だった頃、世界中いったが日本はいいとこじゃ。
ゆ:おじいさんどこの出身なの?
爺:クロアチアじゃよ。わしゃ6ヶ国語話せる。
ゆ:すごいね!何語が一番難しい?
爺:どれも一緒じゃよ。わしの国は多くの国と接しているから、だいたい皆3ヶ国語くらいは話せるのじゃ。
ゆ:へ~。あ、もう降りなきゃ。
爺:わしゃユニオンスクエアに本を買いにいく。
ゆ:風邪ひかないようにね。またね、おじいさん。
まだまだ色々聞きたい事があったのに時間がなくて残念でした。
年明けからかなり沢山かいてしまいました。
今年も色んな人と出会えるよい一年になりますように。
2 件のコメント:
そちらに居ると、日本と違って色々な人との出会いがありますね。
人の人生は誰一人として同じ事はありません。もっともっと多くの人と触れ合って沢山の事を学び感じて下さい。
二ューヨークはそれが出来る所ですよね・・
私も何時か行ってみたいと思います。
そうですね~。
人種の多さで言ったらここくらい色んな人がいるところも少ないですよね。
そういう意味でもニューヨークらしい体験でした。
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